松原ぼたん
護るべきものが護る存在より強いとは限らない。
護りたい存在がいるからって必ずしも強くなれる訳じゃない。
護っているつもりが護られている事もある。
そんなこと分かっているつもりだった。
「・・・・古代竜が?」
フィリアが声を潜めて聞き返した。
「そう、古代竜が」
つられたようにリナの声も潜められる。
「・・・・他にも、生き残っていたなんて」
つぶやいてからフィリアは慌てて辺りを見回した。
近くにヴァルはいない。
ひとつため息をつく。
「それで?」
なぜこんなに動揺しているのかも分からぬまま、それでも平静を装い先を促す。
リナの話はこうだった。
ヴァルが最後の古代竜だと思われていたが、それは生まれてきている古代竜に限っての話。
あるところに卵がひとつ残っていた。それは何の拍子か遺跡に紛れ込み、なにか特殊な力でも働いたのかそのまま生き続けた。
そして先頃調査に入った魔道士協会員がそれを見つけ、持ち帰り研究したところそれが孵ったというのだ。
「そこで終わり。何せ生まれたばっかりだから、種族が古代竜ぽいってだけで単なる赤ん坊だし。・・・・まあ、あたしが見た・・・・もとい会った訳じゃないからわかんないけど」
フィリアの顔色を見てか、リナは言葉を選んだ。
けれどフィリアは実はそんなことを気にしていなかった。正確に言うなら聞いてすらいなかった。
生まれ変わったばかりのヴァルの姿を思い出す。そしてその後の生活を。
最初の、言葉もしゃべれないようなうちは考えなくてすんだ。世話に追われるだけ追われて、教えることもごく基本的日常的な事ばかりだったから。
けれど成長すればそれ以外の疑問もわいてくる。例えばフィリアとは違い自分にはついている黒い翼。ジラスともグラボスとも違う姿。もしフィリアが黄金竜の姿のままだったら更に混乱していたに違いない。
そこでフィリアは迷った。何をどこまで教えればいいのかと。
年齢的な問題もあった。出来るならもう少し成長してから知った方がいいこともある。
心情の問題もあった。古代竜という種族が彼一人だと知ったときにヴァルは悲しまないだろうかと。
けれど何よりもフィリア自身の問題があった。完全に忘れているのなら過去の罪を隠すことが出来る。一瞬でもそう思ったのは弱さだろうか? それともいまや贖罪を超えてすっかり愛おしくなったヴァルに嫌われたくないという思いからだろうか?
その葛藤が今までの何よりもフィリアには苦しかった。
未だ教えてないことはたくさんある。けれどおそらくいつかはヴァルが興味を持つことがその中に混じっているのも知っている。
とりあえずフィリアとヴァルが、そしてジラスとグラボスとも血がつながってなくて種族も違うことは悩んだ末に伝えた。外に出て行くようになってはいずれ分かってしまう。ここで嘘をついても不信感を高めるだけだと考えて。
そしてそれでも家族だと。
それでヴァルは納得したように見えた。けれど本当に納得したかどうかは分からない。
もしかして古代竜の仲間を心のどこかでほしがっているのかもしれない。
今は違ったとしてもこれからもそうだとは限らない。それでなくとも世界は広がってゆくのだ。
「フィリア?」
リナに怪訝そうに呼ばれて我に返る。
「いえ、何でもありません」
一瞬、こんな話を持ってきたリナを恨みかけ・・・・すぐに首を横に振る。
おそらくもっと残酷な形で耳に入るよりはと知らせてくれた友人にそんな感情を持ってはいけない。
けれどそのためにとりあえずの感情の置き場所すらフィリアは失った。
この状態では冷静な判断は下せないと分かっていることだけが幸いだった。
「あれ?」
こういう場合も噂をすれば・・・・というのだろうか?
ヴァルの声だ。
「リナ=インバースが来てる」
顔を見せるなりそう叫ぶ。
「とりあえずさっきの話はまだ内緒ね」
リナがささやく言葉にとりあえずうなずく。
「何話してるんだ?」
「大人同士の話よ」
「・・・・胸、ないくせに」
「いつの間にか生意気になったもんね!?」
・・・・まだ内緒?
まだ?
いつかは言わなければいけない?
フィリアは眠れぬ夜を過ごしていた。
ヴァルの他にも古代竜がいた。
それはどちらかといえば喜んでいいことのような気がする。
けれどうれしいと思えないのも確かで。
どうしてと自分に問いかける。
魔道士協会にいるというのが問題?
そこにいるということは結局のところ実験動物扱いなはずで。
同じ種族であるヴァルを周りがそういう風に扱うようにならないか、あるいはヴァルが変に思いこまないか心配しているのかもしれない。
そう思いついて嫌な気持ちになる。
そしてそれが理由じゃないことにも気づく。
・・・・本当は最初から気づいていたのかもしれない。
まだ見ぬ相手がヴァルの特別になれるかもしれない存在だから。
初めてヴァルがフィリアの知らないところで友達を作った時の気持ちに似ているかもしれない。
けれどその時よりもずっと大きい気がする。
考えただけだというのに眠れなくなるほどに。
母親という存在もある種特別ではあるけれど、望まれてそうなった訳じゃない。
忘れ去られる事もない代わりに、いずれは広くなった世界の片隅に押し込まれる存在。
誰かと共に歩んでいく姿をおそらく見送るだけの存在。
あるいは世の母親の誰もが抱いている感傷なのかもしれない。
けれどそれよりもずっと強い気がするのはなぜだろう。
あまりにも想定していなかったから?
それとも種族が違うから?
他人を完全に理解できるというのは理想でしかないというけれど、理解しようと努力することは出来る。
けれど決定的に相容れない部分に基づくことはどれだけ理解しようとしても、理解したつもりになっても、同じものを持っている存在ほどは分からない。
そしてそれは何よりも強い。そのほかのすべてを理解していたとしても勝てない。
日常生活を送るには些細な、けれど何かを選ぶには決定的なそれが。
相手は持っていて、自分は持っていない。そう感じた。
それが悔しくて。それが悲しくて。
そんな感情を抱いている事すら嫌悪して。
「リナさん、その古代竜がいる魔道士協会ってどこですか?」
「ど、どうしたのよ?」
翌朝、ちゃっかり泊まっていたリナは、目の下にクマを作ったフィリアに詰め寄られたじろいた。
「あんたまさか一睡もしてないの?」
「どこですか?」
リナの言葉を聞いているのかいないのか、フィリアは繰り返す。
「ど、どうする気なのよ?」
「会ってきます」
あるいは考えすぎて自棄を起こしたというのかもしれない。
フィリアはその古代竜とヴァルを会わせるつもりだった。その方がヴァルがためになるというならそれが自分の役目だと。
今すぐではないにしろ、微笑って見送るべきだと。
「会うって・・・・だから相手は赤ん坊・・・・」
「だからです。実験動物として育てさせる訳にはいきません」
出来るなら引き取って自分で育てるか、信頼できるところに預けるつもりだった。
魔道士協会よりもそうした方が普通に育てられると思った。
「きっとヴァルを理解してくれる存在になるはずですから」
リナは何かいいたそうだったが、結局ため息をひとつついてそれをとどめた。
「とりあえず攫うのは最後の手段にしときなさいね」
代わりにそういう。
その程度には追いつめられて見えていたということだろう。
当たり前だがというか、とんでもないことにというか、その魔道士協会は海の向こうにあった。
リナの「よければゼロスに送ってもらうけど?」という提案を一応葛藤の末に蹴った以上、フィリアが竜の姿に戻って飛んだとしても日帰りで帰るなんて芸当は出来ない。
ジラスとグラボス、ついでにリナにも頼みヴァルと留守番してもらうことにする。
初めてヴァルが留守番出来た日のことを思い出す。
その時はただ成長がうれしかったけれど、その陰に隠れていただけで寂しさも感じていたのだろうか?
どうしてもそのことが思い出せなかった。
そして今、そんな風に喜べないことが悲しかった。
「珍しい人に会うもんだな」
「本当ですね」
そうしてたどり着いた魔道士協会。フィリアは思いがけなく懐かしい人に再会する。
「ゼルガディスさん、アメリアさん・・・・どうしてここに?」
「お前さんがここにいるより不思議はないと思うが?」
「ここに合成獣を作るのが上手い人がいると聞いて・・・・」
ゼルははぐらかしたが、アメリアは素直に答える。
「・・・・まあ、そういうことだな」
ゼルは相変わらず合成獣のままだ。
上手く作れるからといって元に戻せるわけではないと分かっていながらそんなことを繰り返しているんだろう。
「フィリアさんは?」
「私は・・・・ここに古代竜がいると聞いて」
少しためらった後、正直に話す。
「そう、その古代竜が実は合成獣だったんですよ」
フィリアのただならぬ様子に気づかず、アメリアが言う。
「何でもその人本来そっちの方面を研究してたんですけど成果が上がらず予算がもらえなくなりそうだったんで合成獣を古代竜だと偽って研究費をだまし取ろうとしたそうで。許せませんっ」
「・・・・結局ばれはしたがその合成獣の出来が評判になってな・・・・どうかしたか?」
フィリアは座り込んでいた。足に力が入らない。
何時の間にそんなことになっていたのかとぼんやりと考える。
考えてみればリナは会ったとは言っていない。多少違っていても即座に真偽を確かめられる人はいない。
それでも話を聞いてからフィリアがここに来るまで数日、ゼロスに送ってもらうなどいう発言を聞いたため失念していたが、もしリナが正規のルート出来たのならまっすぐ来たとしても相当な日数がかかっている。
その間に状況が変わってしまったのだろう。
「フィリアさん!?」
いつの間にか頬が濡れている。
悲しいのかうれしいのかショックだったのか安堵したのか何も分からない。
ただフィリアは涙を流し続ける。
「やれやれ、そんなことだろうと思ってましたけどね」
さっきまでいなかった存在の声に自然と視線はそっちを向く。
声と神出鬼没さから予想がついたゼロスはまだいい。ただ留守番を頼んだはずのリナと・・・・。
「ヴァル!?」
フィリアの声は悲鳴に近かった。
「ごめん、ヴァルがどうしてもフィリアが心配だっていうから・・・・」
バツの悪そうなリナに繋がれた手を振り払ってヴァルがフィリアに駆け寄る。
「何かあったんですか?」
「実はね・・・・」
ゼルとアメリアはリナに事情説明を求め、反射的にフィリアをからかおうとしていたゼロスはリナに引っ張っていかれる。
二人だけが残される。
「泣くなよ」
言葉はぶっきらぼうだがヴァルの方が泣きそうな表情をしている。
「ごめんなさい」
何に対してなのか、あるいはすべてに対してなのか、フィリアはヴァルに謝る。
かつて黄金竜が犯した罪に対してか。
今回の事態に関してか。
あるいは心配をかけたことに対してか。
自分のことしか考えなかった事に対してか。
「きっといるから。この世界のどこかにあなたを理解してくれる存在が」
今度こそはっきりと決意する。そんな存在をヴァルが見つけたら笑顔で送り出すことを。
ヴァルが愛おしいからこそ、こんな自分の側でいつまでもいてはいけない。
どれだけ胸が痛もうとも。
この世界のどこかで見守っているから。
「フィリアがいるからいい」
なのにヴァルはそんなことを言う。
「フィリアにも俺がいる。だからもう泣くな」
それは子供の理屈といえばそうかもしれない。
すべてを分かっているようで何も分かっていないのかもしれない。
けれどフィリアはもう何も考えられなかった。
ただヴァルを抱きしめ・・・・もっと激しく泣き出した。
この世界のどこかが、この場所でないとは限らない。