風姫 翠
「フィリア・・・フィリア・・・」
誰かが名前を呼んでいる。・・・本当に?私なんか、私なんか呼んでも仕方がないのに。
「私はもう、巫女でもなんでもありません!!私に助けを求めたって・・・」
救うことなどできないの。なのに・・・どうしたら私にあのひとが、ヴァルガーヴが救えたというの?どうして救おうとなんてしたの?救えると思ったの?
「それは、巫女の名のもとに抱いた傲慢だったのでしょうか?」
違う。私は自分の地位になど甘んじたことはない。ただ・・・ヴァルガーヴだから救いたかった。伝えられるものなら、伝えたかった。私は、貴方のことを―――もうやめよう。もう遅いの。だからあのひとのまぼろしなんて見たのよ。水の流れるところ・・・。
「何ぶつぶつ言ってるの!!?フィリア!!しっかりしてよ〜!!!」
「―――え?・・・リナさん!!!」
ぼんやりとしていた視界がはっきりした瞬間フィリアの見たものはリナのアップだった。とっさに起き上がろうとして、がつん!!とリナとごっつんこ。
「いった〜・・・な、なんでリナさんがここに?」
「ここ・・・って、あんたここ廊下よ!!フィリアこそなんでここにいるの?」
「ろ・・・うか・・・?」
きょろきょろ回りを見渡すと、確かにそこは宿の廊下だった。闇はもうどこにもなく、あたりが白く見えるほどに明るい。
(どうして?私、水音を辿って外に出て・・・像、像の前で倒れ・・・)
あれは夢だったのだろうか。考え込んでいるうちに垂れて来た髪をかきあげると、砂の粒がぽろぽろこぼれる。
やっぱり夢なんかじゃない。不意に頭痛に襲われたが、強く首を振って堪える。
「リナさん、私いつからここに?」
「さあ・・・。あたしが部屋から出ようとしたら扉がなかなか開かなくてさー、思い切って開けたらごーん!!とかいってあんたがうつぶせに倒れてて・・・いつからかは分からないけど、扉にもたれて眠ってたみたいよ」
「・・・じゃあこの頭痛・・・リナさんのせいですか・・・・」
フィリアが額に手をやると、確かにさっきリナとぶつかったところではない場所に大きなたんこぶができていた。
「あは・・・それで頭痛いんですね・・・・」
自分の精神面が意外とタフだったことを知り、自嘲ぎみなフィリア。知らず知らずのうちに笑みを浮かべていたらしく、リナの顔がちょっと青ざめている。
「・・・フィリア、大丈夫?打ち所悪かった?」
「いいえ。ただちょっと・・・昨日の私は変だったなあ、って」
そう。自分は精神的には弱くない。昨日はただ、体力が限界だっただけ。像の前で卒倒したのは貧血だし、人影がヴァルガーヴであるはずがない。明るい光の中でなら、冷静に考えることが出来た。広場に倒れたはずの自分がここにもどっていることだけは謎だったけれど。
「それよりリナさん、朝ご飯食べました?私、何だかお腹がすいちゃって」
ホントに!?と嬉しそうに叫ぶリナ。
「じゃあ、ガウリイさんたちを起こさないと・・・」
「あ・・・多分、もう部屋から出てくるんじゃないかな〜・・・あれだけ大きな音立
てれば・・・」
リナの目が泳いでいることにフィリアは気が付かない。
「大きな音?」
「ほら、あんたが扉にもたれてたから重くてさ・・・つい・・・ついね!!ボ・・・ボム・ディ・ウィンを一発・・・!!だって最近小技使う余裕無かったし!!初心忘れるべからずってね!!あは!!あはははは〜ゴメン〜!!!」
フィリアの微笑んでいた口元が、はっきりひきつった。
「だ・・・だからこんなにおっきいこぶがあるんですか!!?リナさん・・・あ・・・あなたってひとは〜!!!」
「フィリアさん!!元気出たんですか!?んもう〜心配したんですよ〜!!!」
フィリアがリナに飛び掛ろうとした瞬間、バターン!!と盛大に目の前の扉が開き、アメリアが飛び出してきた。さらにその奥からはガウリイとゼルガディスの頭がにゅっと出ている。
「みなさん・・・心配してくれたんですか・・・・?」
気が緩んだ瞬間にフィリアの足元がふらつく。彼女の体を後ろで支えたのはゼルガディスだった。
「ああ、まあな。リナの呪文でばらばらにでもなったかと思って」
そんなにヤワじゃないですよ、と答えるとフィリアは軽やかな足取りでリナの後を追おうとし・・・ちょっと引いた。階段を下りて行くリナが「ごっはんご飯―――♪
なーに食べようっかなー♪」とはしゃぐのが聞こえたから・・・。
廊下でもめている間に先を越されたらしく、食堂は昨夜とは違いかなり混んでいた。何とか席にはつけたものの、注文するタイミングがなかなか掴めない。厨房には女主人とコック長、それに見習いのような男が数人と皿洗いの女性しか居らず、調理だけで手一杯のようだ。フィリアにとってみれば、この騒がしさは気分を紛らわせてくれて良かった。リナのために「お腹が空いた」と嘘をついただけであって、本当はまだ何かを口にする元気など無い。しかし・・・本当に空腹極まったリナに「我慢」の文字など無かった。
「ちょっとー!!!おばちゃんっっ!!!おにーちゃんっ!!!
Aランチ5人前とモーニング・・・ってちょっとおおおおおお!!!!」
慌しくテーブルと厨房を行き来する店員はなかなか捕まらず、リナがぶち切れるのも時間の問題であった。
「う・・・うふふ・・・黄昏よりも暗きもの・・・」
「ち、ちょっとリナさーん!!駄目ですよう!!いくらお腹空いてるからってそんな大技は!!」
「じゃあファイアーボールならいいの!!?ねえアメリア!!ねえ!?」
「そーゆー問題じゃないですってば〜!!!」
食堂(含む:宿屋)あっさりピンチ。その冗談抜きの迫力に女主人もビビったらしく、
「だ、誰か手の空いてる子は・・・・」
と厨房を見渡す。
必死でフライパンを振る中年コック一名、鬼気迫る表情で泡まみれになりながら皿を洗う女性一名、休みなく両手に皿を乗せて駆け回るウエイター一名、そして。厨房の隅で、壁にもたれて呆然としているウエイターと目が合った。
「お兄ちゃん、悪いんだけど・・・あのテーブルから注文取ってきてくれるかい?」
「あ、はあ・・・」
出来れば近寄りたくないけど・・・顔にばっちり出ているのだが、青年は腰までの髪をハンカチでひとつに後ろで結び、緩慢な動きで厨房から歩き出した。少しだけ、足を引きずりながら。
「お待たせいたしました。・・・ご注文は・・・・」
「なーにが『ご注文』よ!!?
お客様をこーんなに待たせておいて、しらばっくれてんじゃないわよ!!!」
テーブルに片足を乗っけて、ウエイターに・・・な、中指を立ててみせる乙女失格リナちゃん。
「リナ〜・・・混んでるんだからしょうがない・・・」
「黙れクラゲっ!!!」
一喝。
「あの・・・注文・・・・」
どこか間延びした青年の口ぶりに、もう切れようが無いはずのリナがまたまたぶち切れる。きっ!!と青年にガンをつけ・・・今にも放送禁止用語をマシンガンのように連発するのではないか、とテーブルについている全員が思った瞬間、その口はぱっくりと開いたまま声を発しなかった。
「?」と思った全員も視線をウエイターへと移し・・・間のびした沈黙をかろうじて破ったのは、フィリアの悲鳴に近い叫びだった。
「―――ヴァルガーヴ!!」
《続く》