無題

匿名希望


 ある、夕暮れの事だった。

「全く、何でこんなに買う必要があるんだ?」

「だって・・・・」

 彼女はほんの少し困ったように微笑する。

 別に深い意味はなかった。ただフィリアは買い物の荷物持ちがほしかっただけ何だろう。

 一緒に買い物に行くだなんてどれくらいぶりの事だろう?

 昔は良く後をついて行ったものだが・・・・。

「きゃっ」

 半分以上は俺が持っていたのだが、それでも荷物の量は半端ではなく、重さはとにかく分量がフィリアには多すぎた。

 案の定、バランスを崩す。

「おっと」

 俺は素早く荷物を置くと、片手で荷物を、もう一方の手でフィリアを抱きとめた。

 いつかやると思っていただけに、我ながらその行動は素早い。

 とりあえず荷物の方を地面に置き、フィリアの方に向き直る。

 こけるまいととっさにつかんだのか、俺の服をギュッと握り締めている。

 ・・・・こんなに細い肩をしていただろうか?

 俺が気を取られている間に、彼女は自分でバランスを直したらしい。

 フィリアの体が離れる瞬間、髪の毛がふわりと弧を描く。

 ・・・・いい香りがする。

 何をしたのか、自分でも一瞬分からなかった。

 俺はフィリアを抱き締めていた。

 驚いたフィリアが顔を上げたのが分かった。

 俺は少し体を離し、その魅力的な唇に口づけ様と・・・・。

「いやっ」

 我に返った。

 慌ててフィリアを離す。

 フィリアは今まで見たことのないような表情をして、俺を見ていた。

 いたたまれなくなって、俺はその場から駆け出した。

 

 結局俺はまだガキでしかないんだろう。

 外に行く場所もなく、俺は自分の部屋に閉じこもっている。

 フィリアによって与えられた場所に。

 ───トントントン。

「入ってくるな!!」

 俺はどなった。

 遠慮がちなノックの音。フィリアだ。

「・・・・そのままでいいから聞いて」

 小さなフィリアの声。

「何だよ!?」

 耳を塞ぎたい衝動に駆られた。それでも聞きたかった。

 感情をどなることでしか表せないだなんて本当に子供だ。

「・・・・さっきはごめんなさい」

 予想どおりの言葉が聞こえてくる。恐らくフィリアはあれを事故かなにかとして片付けてしまいたいのだろう。

「・・・・謝る事じゃない。あんたは俺じゃ嫌だった。それだけの話だろっ」

 なかったことにだけはしたくなかった。行動は勢いだったかも知れないが、あれは正直な俺の気持ちだ。

「・・・・違うの」

 さらに細くなるフィリアの声。

 ・・・・泣いてる?

「・・・・嬉しかったの」

 意味が頭の中で構成されなかった。

「わたしはずっと母親でいるつもりだったのに、喜んだ自分が嫌だったの。・・・・もう母親ではいられないわ・・・・」

 フィリアの言葉が途切れる。

 しばらく待っていたが、言葉は一向に再開されなかった。

「まさかっ」

 一つの可能性に気づき、俺は扉を開けた。

 そこにフィリアはいなかった。

 家中のどこにも。

「──畜生」

 俺は力任せに壁を拳でたたいた。

 ───もう、母親ではいられない。

 さっきのフィリアの声が、どこからか聞こえるような気がした。

 フィリアは結局俺を拒絶したんだ。

 そう思った。

 

「親分、なぜ姉さん、迎えに行かない?」

 ジラスが問う。

 フィリアがこの家からいなくなって一週間になる。

 心配したジラスが探しに行ったところ、フィリアは茶のみ友達の家にいた。

 大騒ぎすることじゃなかった。

 けれど、フィリアは帰って来ない。

 今まで、こんなに長く帰って来なかった事はなかった。

「帰りたくないならしょうがないだろ」

 俺は不機嫌さを隠す事なく言う。

 どちらにしろ、俺はフィリアを失ったのだ。

「親子ゲンカ、良くない」

「うるせぇ」

 何も知らないくせに勝手なことを言うな。

 そう、言おうとして気づいた。

 フィリアは俺の母親としてここに帰ってくるつもりはないのだろう。

 だが、もし・・・・。

「──行ってくる」

 急に態度が変わった俺をジラスは不思議そうに見ていたが、説明する気はなかった。

 ・・・・或いはフィリアも俺を待っているのかも知れない。

 だとすればやっぱり俺はガキだ。何で気づかなかったんだ。

 どちらにしろこれ以上失いはしないだろう。

 さぁ、フィリアを迎えに行こう。

 ──俺の恋人として。

 外には夕闇が広がっていた。

 

 そして、今までに似た新しい生活が始まる。