匿名希望
「姉さん、大変」
お茶の準備をしていたフィリアの元にジラスが大あわてで駆けてきた。
「どうしました?」
フィリアがお茶を入れながら落ち着き払って尋ねる。
「親分、ぐれた」
その動きが止まった。
音がしそうなほどぎこちなくポットを置きジラスの方を向く。
「・・・・前より?」
そもそも世界を滅ぼそうとしたことをぐれたと表現してはいけない。
「『葡萄酒をくれ』と、親分が」
言葉通り取るなら確かにあまりすすめられることではない。法律で定められている訳ではないがヴァルはまだ少し酒に飲まれないには若いだろうし、今は昼間だ。
しかしジラスが言うとヴァルが行った言葉がちゃんと伝わっているかどうかが怪しい。
「この間の葡萄酒のケーキが食べたいとかじゃなくて?」
リナから送ってきた葡萄酒を使ったケーキを作ったことがある。これはヴァルも甘さがちょうどいいと気に入っていたようだったのでまた昨日も作っていた。だったらよいタイミングだ。
だから聞いてみた。
「違う」
なのにジラスはあっさり否定した。
「フィリアー」
噂をすれば何とやらヴァルである。二人の慌てること慌てること。
「どうしたのヴァル?」
何とか微笑もうとするフィリア。
「なあ葡萄酒・・・・」
いきなりフィリアの笑顔が凍り付き、ヴァルは言葉を失う。
肩をつかまれ、今度ははっきりとおびえる。
「不満があるならはっきり言ってちょうだい?」
なのに声音だけがいつも以上に優しくて混乱する。
「え、えっと別にないんだけど・・・・」
とりあえずそれだけを返す。
「ならどうして葡萄酒なんて・・・・」
「工作で空き瓶がいるんだけど・・・・」
いきなりフィリアの力が抜けた。
不穏なものを感じたのか賢明にもジラスは逃げにかかる。
「そうよね、最初は隠れて飲み始めるものよね・・・・」
「ふぃ、フィリア?」
謎なことをぶつぶつつぶやき始めた彼女におそるおそるヴァルが声をかける。
「何でもないのよ?」
にっこりと、ほんとうに何事もなかったようにフィリアは微笑んだ。
さわやかさする感じる笑顔、あまりの変わりそうに再びおびえたヴァルが反射的に一歩下がろうとしたがまた肩はフィリアにつかまれたままだった。
「それで? 葡萄酒って先生が言ったの?」
「う、うん、葡萄酒ぐらいの大きさの瓶って・・・・」
おびえるあまりヴァルの言葉遣いが変わっている。
「大丈夫、空き瓶ならあるわよ。後で渡すからちょっと待ってなさいね?」
「う、うん」
手が離れたのを幸いと逃げるように・・・・というよりヴァルは逃げた。
部屋にはフィリアが一人残される。
戸棚を開ける。そこには半分ぐらい残った葡萄酒。
フィリアはそれを無造作に開けて・・・・まさにヤケ、一気にあおった。
・・・・とりあえず、何でもかんでもクレームつけるPTAの気持ちはちょっぴり分かったようである。