松原ぼたん
一時期、ケーキが嫌いだった。
成長期も済んだいまなら好みとか体が欲していないのだろうですますことができるが、当時はそうじゃない。体はカロリーを欲していたし、実のところお菓子類そのものが嫌いだったわけじゃない。
けれどケーキをほしがると――フィリアが作り始めると、その間彼女は俺の傍からいなくなるから。当時は危ないからとまだキッチンには入らせてもらえなかったし、ケーキ作りは時間がかかる。
もちろんそれはほかのお菓子でも三度の食事でも同じはずだし、自分からフィリアと離れて遊びに行くことだって多々あった。
けれどケーキは、甘い匂いは、その中で幸せそうに微笑むフィリアは、どこか俺を拒絶しているように思えた。俺がいなくても幸せだと。自分は世界を広げているくせにフィリアにはそれを許さない、幼い独占欲と依存心だ。
それが変わったのはあの日のチョコレートケーキ。ただ一言「ヴァルのためにつくったのよ」と言われたこと。
その日はバレンタインで、だからその言葉が出たんだろうし、嘘じゃないと思う。けれどもホールケーキなわけだし、結局のところその日のおやつとして皆の口にもはいった。それでもその言葉の効果が絶大で、その日からケーキが好きに――素直に向き合えるようになった。
あの幸せの中に俺もいると知ったから。フィリアが俺のことを考えてくれると分かったから。
チョコレートの香りの中、そんなことを思い出した。