一姫 都
その日は、いかにも夏らしい晴れ晴れとした青空があたりを覆っていた。
遠くで聞こえる蝉の鳴き声に、ヴァルはただ虚ろげに、耳を傾けていた。
表の騒音とは正反対で、家の中とはいえば、扇風機の音が聞き取れるくらいに静か
だった。どうやら、いま家にいるのは俺だけらしい…。
しめつくような暑さと、不覚にもかかってしまった風邪のせいで、頭は思うように働かな
い。それでも、開けっ放しにされた窓のせいでいくらか風が入ってくる。
その心地よい風を受けながら、布団の中で、彼はふと、思った。
……なんか…おかしい。
この家が、こんな静寂に満ちるときは、年に数える程しかない。
それほどに、ここはいつも騒音に満ちている。
――言葉、足音、寝息、ヒト・ヒト・ヒト……――
……そうか、ヒトがいないんだ…。
俺の周りには、いつも誰かがいた。
一人になることなんてほとんどなかった。いつでも、誰かが側にいたんだ…。
ふいに、言い表せぬ程の嫌悪感がこみ上げてくる。
――ひとり……ひとり――
遠い日の情景が眼裏に思い描かれる。
――雪・雪・雪…――
あの出来事を正当化するかのように、すべてを覆い尽くした白
――血・血・血…――
その白の下で、最後まで生き続けようと流した鮮やかすぎた赤
そして…
――死――
――ソノヒカラオレハ ヒトリニナッタ――
ヴァルっっっ
「ヴァルっっっ」
はっ……
「どうしたの、大丈夫?」
…………
「なんだかうなされてたみたいだけど…、怖い夢でも見た?」
自分を呼ぶ声に、やっと異界から戻ることが出来たような、不思議な感覚に囚われ
た。
……夢……か?
どうやら自分でも気が付かないうちに眠ってしまっていたらしい。
目の前には、いつ帰ってきたのか、フィリアの姿があった。
手が汗で濡れている。けだるそうに頭を掻きながら、ヴァルが静かに呟いた
「…そうかもしれない」
「えー?
本当に怖い夢見たのー?」
フィリアが優しげにくすくすと笑う。そして思い出したように呟く。
「あ、ジラス達はプリンを買いに行ってるわ」
「…プリン?」
「あなに食べさして上げたいんですって、大好物でしょ?」
……今はなんも食う気になれなんぞ……
けれど、あいつららしいいたわりに、なんだか安心したのが自分でもわかった。
「ほらほら、もう寝なさい。
熱、下がらないわよ」
言って、自分の側から立ち上がろうとするフィリア。
「……まったっ」
自分でも知らないうちに、手が動いていた。
熱のせいで声は虫の音位にしかでなかった。
手首を掴まれ、少し驚くフィリア。
「なあに?」
聞かれ、少し黙り込む。
俺…なんでひきとめたんだろ………、けれど、言葉は滑るように口からこぼれた。
「……もうちょっと、ここにいてよ」
こんなに心細くなったのは、きっと、さっきの夢のせいだった。
――死――
ほとんど見覚えの無い、見たことのあるはずのない光景…。
しかし、何故かそれは彼の心を闇に沈ませた。
ひとりは…嫌だ……。
そんな彼の気持ちを察してか、フィリアは静かにその場所へ座り直す。
ふう…っと、小さくため息をついてから、優しく微笑む。
「しょうがないわねぇ…」
言いながら、くすくすと笑うフィリア。
…ヴァルが私を頼るなんて久しぶりね……
「なんだよ」
「え?
「いやー…ヴァルもまだまだ甘えん坊だなぁ…っておもって」
その言葉に、顔を赤面させ、やや強い口調で反論するヴァル。
「うっせえっっ」
それでもまだ、フィリアは笑うことを止めない。
「だーーーっっ、もういいっっ、お前は洗濯でもなんでもしにいけっっ」
「まあまあ、遠慮しないでヴァルっ…ぷぷぷっっっ」
蝉の声もやや小さくなり、路地を取り囲む人の流れも少なくなった頃、
その家には、やっといつも通りの活気が戻っていた……