ピンクのリボン

にあ


 

間に合わなかった……か……」

 まだ炎のくすぶる焼け跡に立ってヴァルガーヴは溜息をついた。

 動く者一人としていない獣人たちの村。かつては−−それなりに平和だった筈の生活

の無惨な残骸。

 視線の先に唯一動くものを見つけてヴァルガーヴは手に取ってみた。

 焼けた家の跡にひっかかっていた、それは桜色のリボン。

 奇跡的に焼けていなかったそれを彼は苦い失望とともにズボンのポケットに押し込ん

だ。

 

 

 

 森の川縁で、彼は翼を休めていた。

 重い気分を振り払うように冷たい水で顔を洗っていると、すぐそばでがさごそと音が

した。

 がさごそ。

 ごそごそ。

 しばらく、静寂。

「……………………」

 ごそごそごそ。

 そして、また静寂。

「………………?」

 小動物かなにかだろうか。それにしては、人の近くまで来ているというのに警戒心が

少ない。

 がさっ。

 ひときわ大きい音がした。

 がさがさがさ。

 急にスピードが増した。こっちへ突進してくる。

 がさがさがさがさがさがさがさっ。

 用心して彼も腰を落とし、襲撃を待った。

 気配はすぐ近くまでやってきて、一瞬止まり。

「ばあーーーーんっ!!!」

 声とともに弾かれたように飛び上がったのは…………一人の少女だった。

 しばしの沈黙。

「???????」

 頭の中が疑問符で満たされるヴァルガーヴ。

 両手を精いっぱいあげて、自分の肩ぎりぎりの茂みから立ち上がった少女は、対処に

困ったように目をぱちぱちさせた。

「……………………あう?」

 

 

 しばらく時間が停止した後−−−−。

 我を取り戻した様子できょろきょろと少女は自分の周りを見回した。

 どうやら誰かと間違われたらしいとヴァルガーヴはようやく気がついた。

「おとーーさま……」

 少女が頼りなげにつぶやく。

 歳の頃は4〜5歳ほどと、まだ幼い。

 おそらく父親と二人で遊んでいて迷子にでもなったのだろう。

 関わり合いになる気はなかったので、ヴァルガーヴはすぐさまきびすを返して立ち去

ろうとした。

 人の離れていく気配に少女は敏感に反応した。

 がしっっ。

「ぐわっ」

 急に喉を締め付けられてヴァルガーヴはのけぞる。

 振り返るとマントにしっかりとぶらさがる、少女。

「あのなあ…………」

 別にこっちが悪いわけではないのに、少女の不満そうな表情はこちらの罪悪感を煽り

立てるようなものがあった。

「あのな、お嬢ちゃん。オレはあんたの父親じゃねぇの。わかるか?」

「……………………」

 少女はだまってこちらを見上げている。ガラス玉のように澄み切ったその瞳は限りな

く澄んでいて無意味に明るい。こちらの言うことがきちんと伝わっているのかどうかヴ

ァルガーヴはちょっと不安になった。

「遊んで」

 聞いてない。

「おにいちゃんは時間がないの」

「かくれんぼしよ」

「…………」

 やっぱり聞いてない。

「おにいちゃんはかくれんぼはしない。だから、行く。いいな?」

 念を押して、ヴァルガーヴは立ち上がる。

 背中を向けて2、3歩歩き出した瞬間に、後ろで盛大な泣き声があがった。

 うわああああああああああああーーーーーーーーーーんっっっっっ。

 一体どこからこんな大声が出てくるのだろうか。

 ヴァルガーヴは両手で耳を押さえ、ふりかえった。

 少女はまだわあわあと泣きわめいている。

「わかった、わかったから、そんなにわめくな!!」

 ぴた。

 泣き声は始まったときと同じように一瞬で止んだ。

 嘘泣きじゃねぇんだろうな、こいつ……。

 疑い深そうに睨むヴァルガーヴにかまわず、少女はにぱっと笑った。

「かくれんぼしよ」

 罪悪感などかけらも感じさせない笑顔は邪気がないぶん、ヴァルガーヴの肩を落とさ

せた。

 

 

 

 かくれんぼは結局、すぐに中止となった。

 どこに隠れてもすぐに見つけだされてしまうので、少女が機嫌を損ねたのだ。

「ずるしてる」

 と少女は決めつけたが、もちろんかくれんぼごときに彼が姑息な真似をするわけがな

い。

 種をあかせば簡単で、少女はどこかに鈴をつけているらしく、動く度にそれがりんり

ん、と音を立てるのだ。

 隠れていても子供だからじっとしていることができず、結局鈴の音のするほうを探せ

ばすぐに見つかる、という次第だった。

「おはな」

 差し出された花冠を受け取って、ヴァルガーヴは頭にのっけてみる。

 もちろん、そうしないと彼女が怒るからだ。

 これで3本目。冠以外にも腕輪に首輪にベルトに……数え上げるときりがない。

 少女自身も首やら頭やら腕やらあちこち花だらけである。

 最初に編んだ1本をうまいなと誉めてやったのが運の尽き。嬉しげに次々と作り始め

た。帰ろうとするとまた泣きそうになったので彼はおとなしくされるがままになってい

る。

 りんりんと少女が跳ねる度に軽やかな音がする。

 いったいどこにつけているのだろう?

 白い帽子に白いケープ。少女の華奢な身体は裾の長いマントにすっぽりと覆われてい

て素肌が直に見えるのは両手と顔だけだ。

 よくよく観察してみるとどうも普通の少女の着る服とは違うような気がする。

 旅支度にしては丈夫さにかけるようだが、こんな人里離れた場所までわざわざ遊びに

来るというのもおかしな話だ。

 おまけにこの警戒心のなさ。

「おはな、きれいね」

 たどたどしい言葉でヴァルガーヴを嬉しげに花で飾り立てている。

「そうだな」

 にこにこと笑う少女からは陽だまりの匂いがした。

 花など落ち着いて眺められるような境遇ではなかったから、彼女に同意を求められて

も彼は返答に困る。

 彼の苦笑に気付いたか、彼女の顔から笑顔が消えた。怪訝そうに眉を寄せて彼を覗き

込む。

 またしても、りん、と鈴の音がした。

「いったい、どこにつけてんだ?」

 花に埋もれた足下から聞こえてきたようだ。

 足首につけてでもいるのだろうか?

 思わず背後を覗き込んだ彼の目に、人間にはありえないものが映った。

 ちょろりと服の下からマントを持ち上げている、金色のしっぽ。

「お、お前……!」

「あう?」

 蒼白になって立ち上がった彼に、少女はちょこん、と首を傾げてみせる。

 しっぽの先には、大きめの鈴。しっぽが揺れる度に軽やかな音を立てていた。

 −−−−黄金竜!

 ぎりっと奥歯を噛みしめる音が彼の口から漏れた。

 殺す!!

 振りかぶった手刀。少女の鈴がまた揺れた。

 

 

 額にあたる直前で止められた手に、少女はあいかわらず警戒心のない瞳で彼を見つめ

ている。震える指先にヴァルガーヴは何度か力を込めようとし、その度に少女の青い瞳

に阻まれた。

 殺せ。殺せ。殺せ。

 自分に言い聞かせるように、呼吸を整える。

 その指先に、ふわりと少女が手をかけた。

 ゆっくりと指先に通された、花の輪っか。

「ゆびわ」

 そうして、また少女は笑った。

 りん、と尻尾の先で鈴が揺れた。

 弾かれたように、彼はもう一度振りかぶり、目を閉じて、振り下ろした。鋭い光弾が

放たれる。

 それは少女の尻尾の先にある鈴をはじき飛ばし、地面にあたって花を散らした。ひら

ひらと舞う色とりどりの花びら。

 外してしまったのは無意識か故意か。彼には分からなかった。

 弾かれた鈴はりんりんと耳障りに軽やかな音を立てて花畑の中に転がった。

 少女はきょとん、と目を見開いている。

 ふいに軽くなった尻尾を振り返って、ついでちぎれた鈴を目線で追う。

 少女の顔がくしゃりと歪んだ。

 うわああああああああああああーーーーーーーーーーんっっっっっ。

 盛大な泣き声に、ヴァルガーヴは我に返った。

「うわ、おい、泣くな。泣くなったら」

 ああああああああああああーーーーーーーーーーんっっっっっ。

「泣きたいのはこっちなんだよ、ったく……」

 ふてくされてポケットにつっこんだ手の先に、何かが触れた感触がした。

 

 

 

 飛び立てるようになったばかりの娘が夕方近くになっても帰ってこないのを心配して

心当たりを探し回っていたハザード・ウル・コプトは森の奥深くで、ようやく愛娘を発

見した。

 色とりどりの花の輪に埋もれて安らかに眠っていた娘は、父親の気配に目を覚ますと

悪びれない笑顔を向けた。

 その笑顔に怒る気も失せた父親は、抱き上げた少女の尻尾の先に見慣れないものを発

見して首を傾げた。

「フィリア。それはどうしたんだね?」

「もらったの」

「もらったって誰に?」

「あそんでくれたひと」

「遊んでくれたひとって誰だね?」

「これくれたひと」

「………………」

 少女はうれしそうに笑っている。

 その笑顔に父親も思わず笑顔を返す。

 まあ、別に危険なこともなかったようだし、よしとしよう。

 そう思って彼は深く追求することは止めにした。

 きっと誰か旅の人間にでも貰ったのだろう。

 少女の周りを護るように積まれた無数の花飾り。

 尻尾の先で風に揺れている、不器用な結び目のピンクのリボン。

 

 

THE END