エリ・エリ・レマ・サバクタニ

熊野さくら(仮名)


 

人里離れた小高い丘の上に、ぽつんと小さな店がある。鈍器を扱うその店は、美味しい紅茶と手作りの菓子で訪れる客をもてなしていた。
そこの女主人であるフィリアは、窓からそそぐあたたかい日の光を心地良く受け止めながら、日課である鈍器の手入れをしていた。
「…?」
ふと、その手を止め、窓の外を窺う。
窓の向こうに見えるのは、木々の生い茂った深い森。四季折々の表情を見せるそこは、フィリアの気に入りの場所でもあった。しかし、今は普段と違い、禍々しい雰囲気が漂っている。
「姐さん?どうしたんです?」
表情を険しくしたフィリアに気付いて声をかけたのは、赤い狐族のジラス。時折この店に来てフィリアの手伝いを買って出たり、店のテーブルに大事そうに置かれている籠の中身を、飽きもせずにじっと見ていたりしている。
「ええ、ちょっと…」
ジラスの問いに曖昧に答えると、フィリアは愛用の武器、モーニングスターを手に、店から出て森へと足を向ける。ジラスが後に続いた。

森と店の中間くらいの位置に来たとき、一気に森が騒がしくなった。ざわざわと木々がざわめき、地響きのようなものが聞こえてくる。鳥の大群が一気に羽ばたき、群れを伴って飛び去って行く。
「あ、姐さん…」
何事かと怯えるジラスは、フィリアの後ろに隠れるように身を寄せ、森を注視した。
「…来る」
「へ?」
フィリアの呟きに、ジラスが呆けた声で聞き返すと同時に、森の中から動物達の大群がフィリアたちへ向けて走り出してきた。
「ひえ!…え、ええええ!!!??」
どどどどど。と騒音を響かせ土煙を上げて駆けて来るのは、鹿やウサギといった草食動物から、熊や狼といった肉食動物まで。そしてそれらはその場に佇むフィリアやジラスなど眼中にないかのように二人を避け、そのままどこか遠くへ走り去っていった。
残ったのは、もうもうと立ち込める土埃と大量の足跡。ジラスは動物達が走っていった方を呆然と見つめ、フィリアは、動物達が駆けて来た方行、森を見つめていた。

「…な、なんだったんすかね、アレ」
ジラスが今だ呆然としながらも、フィリアに話しかける。しかし、フィリアはそれには答えない。じっと、きつい眼差しで視線を森へ向けたまま。

強い魔力の気配がする。まさか、魔族?まさか、狙いは…。
今だ孵らぬ古代竜の卵は、フィリアの手元で大事に大事に守られていた。
フィリアの手に力が込められる。モーニングスターを握り直すと、大きく息を吐いた。

ただならぬ雰囲気のフィリアに、ジラスはただ何もできずにその後姿を見つめている。
一瞬の静寂、風が土煙を吹き消し、視界がクリアになる。その時。
「あ!誰か来ますぜ!」
ジラスが叫ぶ。森の入り口、そこから人影が、現れた。

「……え」
「ひえええ!!!」
大きく瞳を見開くフィリアと、驚愕の表情のジラス。
静かな足取りで現れたその人物は、フィリアを認めると手を上げてにやりと笑ってこう言った。


「やっほー!ひっさしぶりー!」

にこやかに笑いながら黒いマントを翻して駆けて来るのは、ロバーズ・キラーだのドラマタだのの通り名を持つ、自称、剣士にして美少女天才魔道士、リナ=インバースであった。



「いやー、この辺の森って騒々しいわねー。まったく、森林浴もゆっくり出来ないじゃない」
フィリアの出した大量の菓子の山をばりぼり貪ながら、リナは呆れたような声を出す。
「鳥は煩いわ動物達はそこら駆け回ってるわ。まあ、活気があってある意味いいのかもしれないけどね」
何杯目かわからない紅茶のお替りを催促し、ジラスがこっそりと確保しておいたクッキーに手を出す。
「ああ!それ俺の!」
「あらあらジラスちゃ〜ん?この私に会うなり「出たなエンガチョ魔道士!あっち行けしっしっ」とか言って小石を投げてきたのは誰かしらねえ?涙目で」
「うう…」
今だ涙目のジラスである。

「リナさん…来るなら来ると、連絡くらいしてくれても…」
フィリアは、事前に知っていれば森の動物達も先に避難させておいたのに。と心の中で付け足した。
「えー、めんどいしー」
ぶうぶう言いながら紅茶を啜る。

「はぁ、リナさんらしいといえば、らしいですけど」
溜息を吐くフィリアは、食材の備蓄はどのくらいあったかしら。ヘタをすれば買出しにいかなくてはいけないかも。と遠い目をした。
「ところで、ガウリイさんは?一緒ではないんですか?」
自称リナの保護者。剣の腕は達人級だが、脳みその変わりにスライムかヨーグルトが詰まっていると言われている。その彼と行動を共にしているはずなのに、姿が見えない。
「ああ。今ちょっと別行動しててね。ここで落ち合うことになってんの。だからガウリイが来るまでお世話になるからよろしく!」
…買出し部隊出動が確実になった。

「まだ孵らないんだ」
多少お腹も膨れてきたリナは(大皿に盛られたクッキー、ケーキ3ホール、マフィンに焼き菓子その他諸々、客用に用意しておいたものすべてリナの胃に収まった)古代竜の卵に視線を向ける。
ここは店ではなく、フィリアのプライベートルームだ。
「ええ。まだまだ、時間はかかるんじゃないでしょうか」
指先で卵を突付くリナに苦笑して、フィリアは何杯(何十杯?)目かの紅茶を注ぐ。
「そうなの?なんだー、もう雛になってると思ったのにー。早く出てきなさいよー」
「無茶言わないで下さい」
つまらなそうに卵を弄びだすリナ。
「だあってー、チビヴァルで遊べると思って来たのに」
卵をつかんで日にかざしたり、ころころと転がしたりしている。フィリアは少々焦りだす。
「ちょ、リナさん!あまり乱暴にしないでください」
「だいじょうぶだって!こういうのは案外丈夫にできてるもんなんだから。しかも竜の卵だし」
リナは「寝てるのかも。起きれば卵から出てくるかな」とかなんとか言いながら、卵をテーブルの上で転がす。
たしかに、竜の卵は固い殻に覆われてはいるが、いかんせん手にしているのはあの、リナ=インバースだ。どんな副作用があるかわかったものではない。フィリアは卵をリナから取り戻そうと手を伸ばした。
「もう返してください!」
「あ!ちょっとフィリア!いいじゃないのちょっとくらい!減るもんじゃなし!」
「減るかもしれません!それに、そろそろお昼寝の時間なんです!!」
「はあ?卵が昼寝なんかするわけないでしょ!」
「うちの子はするんです!!」
リナとフィリアの攻防の最中、卵はあっちへ転がりこっちへ転がる。やがて。

ぺき。

「あ」
「え!?」

いやーな感じの音がした。
「……リナさん」
どす黒いオーラのフィリアが、リナを睨めつける。スカートから覗く尻尾がびったんびったんと床を叩いている。
「あ、あはは。フィリアちゃ〜ん。怒っちゃだめよ?ここはあんたのおうち。壊れちゃうわよ〜?」
フィリアが竜に変身しようものなら、この家は残骸しか残らないだろう。宥めるリナに冷たい視線で答えるフィリア。

「ただいま姐さん!俺、いっぱい食い物買って来た!!」

ちょっと突付けば大爆発してしまいそうに怒りのオーラを膨らませていたフィリアの後ろから、能天気な声がかかる。買出しに行っていたジラスだった。

「すごくいっぱいだから、外にも置いてある…あれ?姐さん親分の卵…」
いつもは大事にふわふわの床を敷き詰めた籠に入っているはずの卵に気付き、首を傾げるジラス。
「ええ、ジラスさん。リナさんが…」
「だ、だからごめんて…」
「ぱりぱり割れてる。親分起きるのか?」
「え?」
ジラスの言葉に、フィリアは振り返る。卵を見れば、小さく振るえ、次々と殻が剥がれていっている。
「まさか…だって、もっと時間が…」
「ほらほらー。私の言った通りじゃん!寝てたのよ」
驚き呆然としているフィリアに、ふふんと平らな胸を反らせるリナ。
そういう合間にも、どんどん卵の殻はひび割れ、欠片が落ちる。やがて、小さな翼が現れた。

「とうとう、この日が…」
フィリアは感無量だ。もっともっと、ずっと遠い先の事だと思っていたのが、こんなに早く。目にうっすらと光るものを浮かばせじっとその様子を見守っていた。
「…インプリンティング」
感動に打ち震えているフィリアの隣で、リナがぼそりと呟いた。
「…刷り込み…一回やってみたかったのよね…」
ひよこがちょこちょこ後を追う可愛らしい姿を頭に浮かべたリナは、ずいっと卵へ顔を近づけた。
「ちょちょっとリナさん!?」
「孵って最初に見たものを親だと思うんでしょ?面白そう」
リナの目はらんらんと輝いている。
「!…じょおっだんじゃありません!!リナさんが親だなんて!生まれた瞬間から人生が終わってしまうじゃありませんか!!!」
「どおいう意味よ!!」
「そのまんまの意味です!!」
フィリアは今にも顔を覗かせようとしていた卵を胸に抱えた。それを奪おうとリナが手を伸ばす。
「いいじゃないちょっとくらい!」
「そのちょっとがヴァルの人生を破滅に追い込むんです!!」
「むっきー!あんた!私を何だと思ってるのよ!!!」
「リナ=インバースだと思っています」
「はあ?」
「その名前を口にすれば、それだけでどんな悪人も裸足で逃げ出すだけでなく、下級魔族くらいなら泣き喚きながら逃げ出す。そのくらいの破壊力は余裕で持っている、世間に知り合いだと知られたくない人物ベスト3の名前です!」
「………ひどくない?」
「どこがです?お世話になった事もありますし、だいぶ遠慮していったんですけど」
顔を顰めるリナに対し、フィリアはにんまりと笑った。巫女時代に比べると、だいぶ逞しくなったようである。

「姐さん!親分が」
「え?」
リナに気を取られているうちに、だいぶ姿が現れてきている。小さな頭も見える。
「ああ、ヴァル…」
もうすぐ。もうすぐだわ。
フィリアは胸に抱いていたヴァルの卵をそっと持ち上げた。その時。
「すきあり!」
「え!?」
リナの手が卵に触れる。阻止しようと身を捩るフィリアの手から、卵が飛び出す。
「ヴァル!?」
「わあああ親分!!」
弧を描き宙を飛ぶ卵にその場の全員が手を伸ばす。しかし、勢いよく飛び出した卵に誰も届かない。もうだめかと、誰もが思ったその時。

「リナいるかー?…え、お?」
いきなりドアからのほほんと現れたガウリイの頭の上に、ぽすんと卵が着地した。



「納得できない」
「誰のせいです?」
「私のせいだって言うの?!」
「他に誰がいるって言うんです!!」
「まあまあ、せっかく久しぶりに会ったのに、喧嘩はよくないぞー?」
ぎゃいぎゃいと言い争う二人に、ガウリイが仲裁に入る。頭には古代竜の雛。今はすやすやとお昼寝中。
「…フィリアの顔も名前も何もかも忘れていたあんたにとやかく言われたくないわよ!!」
それでよくここまで辿り着いたもんだ、野生の勘か?とリナはガウリイの首を絞める。
「う…苦しいぞ、リナ。…んな事言ってもさ、こうなっちまったもんは仕方ないだろ」
そのまま竜破斬の一発も撃ちそうなリナに対し、ガウリイは苦しそうな表情を浮かべながらもへろりと笑ってリナの頭をぽんぽん叩いた。

「はあ…それよりも、どうするんですか、この状態」
孵ったばかりのヴァルは、ガウリイの頭から離れない。金色の髪を巣と勘違いしているのか、ぴいぴいと鳴きながら寝床を整え、丸くなって眠っている。
「うーん…まあ、そのうち離れるんじゃないか?」
気楽なガウリイに苦い息を吐くフィリア。
「しょうがない。このおチビが離れるまで世話になるけどよろしくね、フィリア!」
刷り込みの野望は断たれたが、次は餌付け。と目論んでいる事はフィリアには内緒だ。
「えええ!?そんな…」
食費が…呟き泣き崩れるフィリアの横のガウリイの頭の上で小さなヴァルは、小さく小さくあくびをした。






久しぶりに書いたので、色々間違ってるかもwジラスの話し方ってこんなんでよかったっけ?(汗