親子関係

里月


 

「それではさっそくですが、これの味を見て頂けますか?」

…………それは吐き気から始まった。

「うおえぇぇぇ……」(ぐら)

「げふっ げふっ……」(じら)

「…………っっうっ……」(ふぃり)

「――――――………………」(う゛ぁる)

正直にその場でうずくまる者。

必死で吐き気を押さえようと努力する者。

ただただ、苦しい時が過ぎ去ってゆくのを待ち続ける者。

遠い世界に旅立つ者。

反応はそれぞれだった。

ただ一概に言えることは――――――

その料理が果てしなく不味いということである。

「いやですねぇ、みなさん。そんな大袈裟な……」

一人だけ。その場に平然と立つこの者。名をゼロスと言う。

時をさかのぼること数日。事の起こりは彼の上司、ゼラスのいつものワガママから始まった。

 

 

――――海辺にあるゼラスの邸宅。

黄金率の体を持つ女性は、静かにうちよせる波の音を聞きながら、けだるそうに部屋に現れた。

「ゼロス〜 いる?」

「はい。ここに」

ほとんど間をおかずに返される返事。

彼女のためだけに存在する忠実な部下。

「なにか美味しいものを食べたいわ」

強く、頭も良く、気がきき、詩をかたらせても、ダンスをさせても完璧にこなす。

「は? あ、はい。では、すぐに買ってまいります」

彼女の、魔族としては突拍子もない思い付きにすら、ちゃんとついてくる。

非の打ち所の無い上等の部下。

「つくって(はぁと)」

まさに……非の打ち所の……

「あなたの手料理が食べたいの」

……あった。彼の苦手とするもの。

「わ、わかりました……。時間を……材料を仕入れてくるので時間を下さい」

「はやくね♪」

ゼロスは全身に汗をたたえてあせっていた。

料理だけはほとんど知らないのである。それもあたりまえ、ゼラスがそれについてはロクに教えなかったからなのだが――――――

他のことは、大抵、ゼラスが必要にかられて教えたものだ。

天性の素質か、ゼロスは乾いたスポンジが水を吸うかのようにそれぞれの知識を身につけた。

しかし、かの上司様は、自分が教えていないことも要求される。

それに応えることが出来るはずだと信じてやまない。

たしかに。今まで仕事上の都合で、ゼラスの教えていない知識も巷で本や何かから仕入れてきたこともある。ゼラスの知らないゼロスの特技も今なら数多くあるだろう。

だが、料理だけは別だ。

彼は料理を敬遠していた。

理由は簡単。以前、ゼラスに作ってもらった料理の味が、彼の心の中にトラウマとして残っていたからである。

 

『おいしいでしょう? 遠慮無く全部食べなさいね♪』

 

そう言ってすすめられた物体の味は、この世のものとは思われぬモノだった。

初めて食べ物というものを口にしたときに経験したのがこの味である。

彼が料理嫌いになったからといって、誰が責められよう。

 

――――お羊のカオス風味マンドラゴラ添え。

それは、昔、ゼラスが若気の至りで竜族と付き合っていた頃、その男に食べさせたくて、本を見ながら作った料理だという。

彼女は知らない。

それが、料理の本などではなく、竜族に伝わる『強い毒薬全集』だということを。

食べた竜族の男がどうなったのかは定かでない。

何年かののち、その事実を知ったゼロスは驚愕した。

降魔戦争の折り、自分が黄金竜と敵対することになったのは、まさかそのこと原因だったのではあるまいか。

ふとそんな考えがよぎる。

 

そんなことが原因で、彼は料理に近づこうとしなかった。

一度なりゆきで料理をするはめになり、ゼラスの料理を再現したこともあったが、むろん、味は分かりきっているので自分では食べない。

ゼロスの料理の基礎は、すべてその毒薬からの物だ。

だから、応用しようにも、出来たものはどれも凄まじく不味い。

そこで彼は手っ取り早く誰かに教えを請うことにした。

「手近なところで、フィリアさんにでもお願いしますか。長く母親をやって、料理も上達していることでしょう……」

つぶやいて、彼は獣人と黄金竜のやっている骨董屋に向けて空間を渡った。

 

 

――――――そして今にいたる。

「おえぇぇっ おえっっ うぐっ」

「げふげふっ おえぇ…………大袈裟、違う。死ぬかと思った」

「ゼ、ゼロス……あなた何をどうしたらこんな味の物が作れるんですか!?」

「ふっ……はっはっはっはっはっ」

「ああぁぁぁっ ヴァル! 大丈夫!?

ごめんなさいね、妙な物たべさせたばっかりにっっ!」

「妙なものって……」

「姐さんも料理ヘタ。だけど、おまえ、もっとヘタ」

「なんですってぇ!? これでも一生懸命勉強して作っていたのに!

だいたいジラスさん、あなた居候のくせにっ………うっ…まだ吐き気が……」

……現場は。混乱を極めていた。

 

『とりあえずはあなたの腕をみたいから何か作ってみて下さい』

フィリアの不用意な一言から、この地獄が巻き起こったのである。

「……ゼロス……ちょっと来い」

阿鼻叫喚の地獄絵図。不気味な臭気の立ち込めるこの部屋で、混乱にまぎれて争うフィリアとジラス。

ただ一人、正常に立ち戻ったヴァルが、冷ややかにつぶやいて、キッチンに入った。

「何か? ヴァルガーヴ……じゃなくて、ヴァルさん」

「俺が教えてやる」

「はい?」

「あいつじゃ無理だ」

「料理、出来るんですか!?」

「あいつと住んでりゃ誰だってうまくなるぜ」

こういう言葉が口から出た時に、ませてると思ってしまうのはこの外見のせいだろう。

偉そうに言う彼の姿は、人間でいえば14、5歳といったところか。

テキパキと支度をして、エプロンまでかけるヴァル。どうみても手慣れている。

察するに、最近では家事はヴァルの仕事になっているのだろう。

 

「俺は美意識で料理する。しっかりと見てろよ」

調理器具が踊る。それはそれは見事な手さばきで次々と出来上がってゆく美味しそうな香のするもの。

「どうしてそんなことをして下さるんです? あなたが。この僕に」

流れるような動作で次の料理を作っているヴァルに、ゼロスはその疑問を投げかけてみた。

「……たいしたコトじゃねーよ。

ただ、昔、ガーヴ様が俺に同じ事をさせたのを思い出しちまってな。おまえだって、どうせなら、うまいモン食ってもらいてぇだろ?」

手は休めぬそままで。ヴァルは自嘲気味につぶやいた。

「……フィリアさんはなかなか良い親だったようですね」

「家事はてんでダメだけどな」

「はっはっはっ」

ほのぼのと笑いがひびく。

 

ジュワッ ジャッジャ

 

部屋中にあったブキミな匂いが消え、ヴァルの作った美味しい香いがたちこめる。

「ほらよ。食ってみな」

喋りながらの短時間。ヴァルはその間に4皿もの料理を作り上げた。

盛り付けはプロ級。味は……

「……美味しい……」

「だろ?」

にまっ、と自慢げに笑うヴァルは、やはり何処となく幼くて、可愛く思えてしまう。

 

「ヴァル〜、何か良い香いがするんだけど……」

「ヴァル様。俺、腹へった」

「これ、食ってもいいですかい?」

隣りで、いまだケンカを続けていたフィリア達も、美味しい香いにつられて現れる。

「あっ、おいこら、ジラス!グラボス!! つまみ食いするんじゃねぇっ!!」

「あら? ……ヴァル、生ゴミは?」

「生ゴミ? それならそこに捨ててあるが……」

「そうじゃなくて」

「ああ、ゼロスか。さっきまでその辺にいたんだけどな……」

きょろきょろと辺りを見回してみる。

「人の家にずかずかと上がり込んで、料理を教えろなんて言っておいて、お礼もせずに帰っていくなんてっ! なんて礼儀知らずなのかしら!

ヴァル、あなたはそんな子に育っちゃだめよ」

……あんたはそっちでケンカしてただけじゃねーか……

そう言いたいのを我慢して、作った料理を一つつまみあげる。……身の無い骨だけを。

「ああぁぁぁってめぇら、全部食ったな!? 夕飯のおかずだったんだぞっ!それ!!」

「まあまあ。いいじゃないの。あなたのゴハンなら私が作るわ」

「いいっ! ……あ、いや……疲れてんだろ?

あんたはそこで休んでな。俺がまた作るから」

「……うううう……嬉しいわ。なんて優しい子に育ったのかしら」

「……子供扱いすんな」

夕食を作ってくれる、というフィリアの申し出を激しく断ってしまった手前、その場の思い付きで並べ立てた言葉に感激されても、ばつが悪いヴァル。

照れ隠しに一言そう言うと、再び料理にとりかかった。

 

 

――――――シュン!

「遅い!!」

「うわっ……って、ゼラス様!? どうしてこんな所に!?」

帰ってきたゼロスを待っていたものは、移動してきたすぐ真後ろに立つゼラスの怒声だった。

耳元でいきなり怒鳴られ、さすがのゼロスもうろたえる。

「いえ、その……ちょっと仕入れに時間がかかってしまいまして」

嘘は言っていない。

ただし、仕入れといっても品ではなく、情報の、だが。

「許せないわね」

無表情で冷たく一言。

「……ゼラス様……」

「お腹をすかせた私をこんなに待たせるなんて、その罪! 万死に値する!!」

厳しい表情になり、眼前に指を突きつけ、言い切るゼラス。

「あの……そんな……すぐに作りますから……」

こんなに怒るとは予想していなかったゼロスは、あとずさりながら必死に懇願した。

 

「おいしかった♪」

ゼラスは、一転して、にっ と笑うと、くるりと背を向け、その部屋のテーブルについた。

「ゼラス様……?」

「ごちそうさま。美味しかったわ。あなたの負の感情」

「えええぇ!?」

「前菜としては最高ね♪ さあ、続きはちゃんと料理なさい♪」

「そんなっ……ひどいですよ」

「だまりなさい。待たせたあなたが悪い。

これくらいで許してあげるんだから、ありがたく思いなさいね。さ、早く続きを。

何処かで覚えてきたんでしょ?」

……お見通しである。

「……わかりました……」

ゼロスは涙を隠しながら厨房に入り、調理器具と材料を前に、さきほどの手順を思い出してみた。

何が入っていたのかを判別することすら難しいゼラスの料理を、一度食べただけで再現できてしまったのだ。ゼロスの料理センスは、決して悪いものではない。

まだ一度も実践してはいないが、さっき見ただけの情報でもなんとか作れるはずである。

見事な包丁さばきで次々と材料を切り、フライパンにほうり込んでゆくゼロス。

今までの毒を煮ているのとはまったく違う良い香が厨房に充満してきた。

「完成♪」

 

何事も形から入るゼラスの部下であるゼロスは、しっかりとその性質を受け継いでいる。

彼はいつもの神官衣ではなく、ギャルソンの服にて、料理を運んでいった。

コト……

「おいしそうね……みためは」

目の前に置かれた皿に視線を落とし、一言余計な感想をのべるゼラス。

「どうぞ……」

静かに言って、ゼロスは傍らのグラスにワインを注いだ。

「……!!」

一口含んだゼラスの表情が、一瞬固まり、それから驚愕の表情へと変わる。

「いかがですか?」

「………………あなたって最高ね(はぁと)」

 

こうして、ゼロスは完全無欠の部下に、また一歩近づいていくのだった。

            ―完―

 

追記

翌日の朝。フィリア宅の玄関先に、大量のニンジンが届けられる。

「あいつ……これでもお礼のつもりかしら? それともイヤミ!?」

「……両方だろう……」